誰かを推すということ
ここ数日、すっかりセンシティブになってしまい、生身の人間を推すということについて深く考え込んでしまっていました。
様々なジャンルの音楽を楽しんでいるけれど、関ジャニ∞、THE YELLOW MONKEY、[Alexandros]は特別好きなグループ、バンドで。
その中でも安田章大さん、吉井和哉さん、庄村聡泰さんは、私にとって「推し」です。
三大推し。
推しといえばこの曲ですね。
今日もテレビからラジオから雑誌からいろんなステージから元気な姿をみせてくれ
それだけで心が満たされる
わかる!
そうわっしょわっしょいその笑顔
わっしょわっしょい守りたい
一生ついていけたらなんて今は思ってる
わかるー!!
推しを眺めてるだけで潤う
推しが動いてるだけで尊い
わかるー!!!
語彙力飛んでも理性飛ばすな
ただそれだけ
わかりすぎるー!!!
語彙力は飛ばしがちだけど、清く正しく明るいオタクでいたい。
画面の向こうの推しのパフォーマンスにひたすら悶え、推しの作品を愛し、推しの言葉を胸にそっとしまい、日々を生きる。
推しは特別。推しはいつだって美しいのです。
だけど。
そうだけど。
推しだって人間。私たちと変わらない生身の人間。
病気やケガなどで今までとアプローチが変わってしまうこともあるし、生き方を変えることもある。
自分が好きだと思った瞬間から大幅に方向性が変わってしまうことだってある。永遠に変わらず続くものなどないのです。
そんなことは百も承知。
だけど。
そうだけど。
それでも推しには永遠を願ってしまう。
理性に感情が追い付かないのです。
そのとき、自分はどうしたらいいのだろう。
ずっとずっと考えて、考えても答えが出ず、友人(オタク)に思い切って打ち明けてみました。
友人から、こんな返信が返ってきました。
「ずっと続くものだと信じていたものに大きな変化が起こるのは辛いね。残った作品を全力で愛し続けよう。ありがとうの意味もこめて」
「残った作品を全力で愛し続けよう。ありがとうの意味もこめて」
その言葉が自分の中ですとん、とおさまって、今まで好きだった趣味のもの、音楽だけではなくて本や絵や、いろいろなものをひっぱりだしてみました。
やっぱり今でも好きだなと。
あの頃のように熱烈に追いかけてはいないものもあるけれど、やっぱり好きでした。
好きなものは時間が経とうが、変化しようがずっと好きなことは変わらない。
ずっと前のTHE YELLOW MONKEY も、THE YELLOW MONKEYじゃなくなった吉井和哉さんも、再集結したTHE YELLOW MONKEYも変わらず好きだった。複雑な気持ちも正直あったけれど、やっぱり好きだった。
だからきっと、これからの[Alexandros]もサトヤスさんも好きだし。
5人になった関ジャニ∞も好きだし、遠くから眺めているだけだけど、渋谷さんも(エイターになった時はすでに脱退されていたけれど)錦戸さんも素敵だなと思うし、安田くんのことも、きっとずっと好きなはずです。
安田くんを推すのは楽しいです、とても。
安田くんはかっこいい、本当にかっこいい。
見た目もかっこいいけれど、発言の数々から、文章から滲み出る人柄にどうしようもなく魅かれてしまうのです。人の本質は決して美しいものではない(ニュアンス)という彼ですが、なんとなくだけれど、人の弱さも愚かさも醜さも含めて、人とというものを愛しているような気がして、「そのままでいい」と言ってもらえたような気持ちになる、安田くんをみていると。
安田くん自身もそのまま、ありのままでいてもらいたい。
安田くんの身体が心配だし、過密スケジュールで動く関ジャニ∞全員に無理はしてもらいたくないけれど、彼らが見せてくれるエンターテイメントを全力で楽しむことが私のオタクとしての愛情の形だと思っています。こうやってブログやSNSという媒体を通じて、彼らを好きだと言い続けることが彼らへの私からのラブレターです。受け取り拒否されない、これなら。勝手に遠くから叫んでるだけだから!
さて、ここで再度キュウソネコカミ「推しのいる生活」の歌詞を。
わっしょいわっしょい振り向くな
わっしょいわっしょい突き進め
今を存分に楽しもう。今までの作品も変わらず愛し続けよう。突き進むしかないのです。
そして、「推しのいる生活」はこんな歌詞で締めくくられます。
生きていて良かった
安田くん、あなたに出会えてよかった。
関ジャニ∞のみなさん、あなたたちの背中をずっとずっと追いかけさせてください。
そして、このブログを読んでくださったあなたと、あなたの大切な推しが、今日も明日も明後日も幸せでありますように。