ハナチルサト

橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ

おひさしぶりです、KANZAI BOYA

小学生の頃に図書館で、縄文時代弥生時代の図鑑、万葉の世界に出会った。奈良に憧れをもつようになった。実際に古墳が見たいからと両親にねだって生まれて初めて奈良に古墳を見に行った。震えるほど感動して、後日クラスメイトに話したら「変」「昔の人のお墓を見て感動するなんて気持ち悪い」と笑われてしまった。
ほろ苦い経験だけれど全然悲しくなかった。自分が良いと思うものは必ずしも人が良いと思うものではない、ということも学べたし、私は人の「好き」を大切にしようと思うきっかけにもなった。良い経験だったと思う。
ほろ苦いけど、全然悲しくなかった。
そんなもんか、と思っていた。


ある人を好きになるまで。


生まれて初めて画面の向こうの人を猛烈に好きになった。
当時Jr.だった、まだグループ名も決まっていなかった頃のKinKi Kids堂本剛さんである。
同世代の男の子がテレビに出てお仕事をしている。
それだけで衝撃だったし、こんなにかっこいい男の子がこの世にいるんだと思った。
しかも奈良出身。憧れの奈良。運命だと思った。
お小遣いをかき集めて雑誌を買い、写真を切り抜いて筆箱にこっそり忍ばせた。「誰?」と聞かれて「堂本剛くん」と答えても分からない人が多かったのはほんの少しの間で、瞬く間に人気も知名度もあがり、グループ名もKinKi Kidsが定着して、剛くん派と光一くん派ができるまでになった。私の周りは光一くん派が多かったけれど、人は人だし特に気にしたこともなかった。
でも、ある人に「いつも人と違うものが好きだよね。何がいいの?」と言われて思いっきり落ち込んだ。
私みたいな人間が、剛くんみたいなキラキラした人を好きだなんて言っちゃダメなんだ。剛くんはあんなにかっこいいのに私が好きだって言ったら迷惑がかかる…!クラスに剛くん派が少ないのは私のせいだ!!
今なら笑い飛ばせるあれこれ、思春期真っ只中、今でいう中二病。どんどん負のベクトルに拍車がかかった私はあろうことか、この胸の内を剛くんに打ち明けたい!剛くんに謝らなければ!などと思ってしまった。

落ち着いて、あの頃の私。ね?大丈夫だから。

当時剛さんはウルトラマンが好きだと雑誌で話していたので、ウルトラマンの便箋をお店をまわって買い求めた。
「私は剛くんが大好きです。でも周りは光一くん派が多いです。剛くんの良さをみんなにうまく伝えられなくて本当にごめんなさい。でもいつも応援しています」というようなことを書いた記憶がある。

必死なのは分かるけれど、こんな失礼な内容の手紙を送った当時の私の代わりに剛さんに謝りたい……。便箋2枚に思いの丈を綴り、ポストに投函した私はすっきりとした気分になり、いつもの日常に戻ったのである。


それから数ヶ月たったある日、帰宅すると玄関で父が仁王立ちで鬼の形相で待っていた。
「おい!男から手紙来るぞ!どういうことや!」
気配を察して、母や妹たちが慌てて玄関にやってきた。私といえば状況が呑み込めず父の剣幕に驚いてかたまってしまい、一言もしゃべれなくなってしまっていた。
そんな私に業を煮やして、父は
堂本剛ってだれや!!」
と怒鳴りつけた。瞬間、わたしは父の手にあるハガキをひったくった。
奈良の消印がくっきりとついたそのハガキの裏には、堂本剛の名前。
「うそやろ!お姉ちゃん触らせて!」
「おとうさん、堂本剛くんってこの子の部屋に貼ってるポスターの子やわ」
「ファンレター出してたん!?返事!?」
「お前!それ早く言えや!」
「言う前にお姉ちゃんのこと怒ったん、お父さんやわ!」
「ハガキくらいで怒鳴ることないやん!」
などと大騒ぎする家族の前でわたしは呆然とハガキを胸に抱きしめて立ち尽くしていた。
今でもこの話は私たち家族の鉄板の笑い話である。

 

KinKi Kidsはドラマに出たり、冠番組をもったり、デビューシングルも出したりして売れに売れた。どんどん遠くの手の届かない人になっていく剛さんにほんのり寂しい気持ちになりながら、細々と応援を続けていたけれど、THE YELLOW MONKEYに出会い、彼らを通じて邦ロックに興味を抱くようになり、そちらの世界に夢中になっていった。


今でも剛さんからのハガキは大切に手元に置いてある。剛さんのイラストと文章を今でも時折読み返す。あの日の感動。「私のような人間が応援しては申し訳ない」という気持ちを剛さんのハガキは、ときほぐしてくれた。

別のジャンルに足を踏み入れてもジャニーズの音楽が大好きだった。ジャニーズのアイドルの持つきらめき。バラエティにも音楽にも演技の世界にも彼らは境界線を引く事なく飛び込んでいく。
血の滲むような努力を積み重ねながらも、それらを感じさせないきらめきをもつアイドルの世界がずっと好きだった。それは剛さんがもたらしてくれた素敵な世界だったから。
今、関ジャニ∞や安田さんが好きなのも、堂本剛さんとの出会いがあったからだと思う。関ジャニ∞が好きな人たちと触れ合ってみたくて始めたTwitterのアカウントでよく相手をしてくださるフォロワーさんがKinki Kidsのファンであったのも何かの運命かもしれない。「好き」は繋がっていく。誰かの「好き」が自分の世界をぐんと広げてくれるのだと改めて思った。


KinKi Kidsの最新シングル、KANZAIBOYA。CDはだいたいネットで買っているけど、このCDだけはどうしても店頭でこの手にとってレジで購入したかった。

ねえ、あの頃の私。
KinKi Kidsの2人は40代になってもKinKi Kidsだよ。あなたが変わったグループ名だと首を傾げていたKANZAI BOYAが曲のタイトルになったよ。「KinKi Kidsのどんなもんヤ!」は、まだ続いているらしいよ。

メイキングでモニターを見て微笑む41歳の剛さんにあの頃の剛さんを重ね合わせて、いつの間にか泣いていた。
良かった。
剛さんが笑っていてよかった。剛さんの隣に光一さんがいて良かった。
あの頃から年月を経て変わったこともあるけれど、2人はあの頃のままだ。
音楽の日、中居さんと楽しそうに言葉を交わす2人を見て「キスした?SMAP」でSMAPのメンバーと共に両サイドに分かれてぎこちなく微笑んでいた2人を思い出す。
そしてあの頃と変わらずKinKi Kidsの2人はめちゃくちゃかっこいい。
KinKi Kidsのままでいてくれてありがとう。

次のKinki Kidsの作品もきっと私は店頭に足を運んで買いに行く。少しずついままでの作品も集めてみよう。

おひさしぶりです、堂本剛さん。

あの頃も、今も変わらずあなたは素敵でした。